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イルチャヨー

八重山に「イルキア」の神事が伝わっている。このイルキア・アマリと言うのは、人間に耕作と火の使用を教えた神である。伊是名村字勢理客で行われているイルチャヨーもこれと同系の祭事だが、中山政府はこの祭りはもの入りが多すぎると禁止したため、八重山に反乱が起こり、尚真王統十四年にはオヤケ・アカハチ征伐に発展したという話もあるいわく付の行事である。そのためか、勢理客のイルチャヨー祭りもひっそりと行われてきた。
 毎年旧暦八月十一日の昼間、勢理客のアサギに主神のマニカニ、随神のニッカ、側神、男神など十人余りの神職が参加して火の神の前で祭祀を行い、続いてアサギのミヤー(庭)に出て円陣をつくり、太鼓を鳴らしながら、「イルチャヨー、イルチャヨー」を2回繰り返し「クニヌシガ、ハジミテツレー」の本歌に入る。
 歌の終わりには「トウヌフニ、ヌユデ、ツレー」と結んでいるように航海安全を祈る祭りでもある。祭りはユッタ御願ニ詣でた後伊是名のアンガナシーノ庭に行き、そこでイルチャヨー踊りをして夕方終わる。イルチャとは茅葺の屋根ニさした桟のことで、イルチャの神はこの桟を依り代にして天から降りてくると言われている。「イルチャヨー、イルチャヨー」と2回連呼するのは、イルチャヨーの神が降りようとしてためらっているのを、イリチャはここだ、早く降りていらっしゃいと神を誘導する表現である。

伊是名島では、日々の暮らしの中に脈々とまつりが受継がれています。その中から、代表的なまつりをご紹介します。

公式清明祭

清明節にはいる前日、公事清明祭(クージヌシーミー)が尚円王ゆかりの陵墓「伊是名玉御殿」で厳かにおこなわれる。供え物もこ古文書通りに用意され、当時の王家の威厳をしのばせる。

ウナザーレ

各集落の子供達が、神アシャギ(各集落にある神を呼ぶ小屋)から各家々の悪魔払いに回る。子供のころから、このような行事に参加することで、伝統的な取り決めや、自分達が地域に必要な人材であることを覚えていく。

ウンナー

ウンナーは、各集落ごとにおこなわれ、収穫された稲わらを持ち寄り編み上げた大綱による綱引きや担がれた戸板の上で昔の装束の若者が組み合うスナイなど、泡盛片手に夜半まで盛り上がります。

八月豊年祭

八月豊年祭は、旧暦の八月各集落ごとにおこなわれ、エイサー、棒術、組踊など伝統的な行事が繰り広げられます。

ティルクグチが残っているのは、沖縄ではおそらく伊是名、伊平屋だけではないだろうか。
 旧暦八月十一日の晩八時頃から、区長を司祭とする一団が字の根所祭りをすると、各隣保班毎に世帯主が相集い、順次家々を廻って仏前においてティルクグチを拍子に合わせて合唱する。これを迎えた家々は神仏に酒肴を供え、巡礼者たちにもふるまう。このティルクグチは内花を除く他の四ヶ字に伝わり、何れもニライ・カナイの神をまっつて豊作を予祝する催しである。これは、奄美大島に伝わるテルヘー・ニルヘーと同一系統のもので、もっぱら口承によって遣されてきた。
 由来記のミセセルやニダテゴト等よりも古い形式を保っているといわれる。各字とも文句は少しずつ違っているが、内容は大同小異で、「この殿内の主加那志、この殿内のあんしめ」とその家の主人と女房の名を唱え、祈りと感謝、予祝を含めてうたい上げる。

諸見区のティルクグチの一節を紹介しましょう。
『ているくみが降りやうて、なりくみが云うえる事、口まさ事まささあやびん』
意味「常世神(このよの神)が天降りされておおせになることは、その言葉どうりに必ず豊年がやってきましょう。」

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